人間は直接の体験や

他人の経験の範囲内で思考するが、合理的な思考形式によって、一般に確実で検証されたものと承認されるとき知識が生まれる。

知識は学問研究によって絶えず改変されるから、つねに知識は不確実で不完全なものにすぎないが、仮説として承認される知識もある。

このような認知的な心的態度が信念であるが、信仰は知情意の経験の全体にわたり、さらに経験を超えたものにも関係するので、既成の思考形式を超えて新しいものを生み出す可能性をもつ。

科学が進歩すれば信仰は不要になるというような考え方は、信仰と信念との混同から生じるといえる。

民間信仰は社寺などの組織のうえにたって

信仰を説くものと違い、一般民衆の間で信じられている呪術宗教的な信仰をいう。

一例をあげれば、山の神、水の神などの自然神に対する信仰などである。

もちろん、多くの人々が信じている既成宗教の神仏が自然神崇拝とまったく別物であるとはいえない。

ただ、社寺を中心とする信仰にはその祭神、教祖などといわれる宗祖があるが、自然神崇拝には自然の摂理というものは認められるが、それを統率する人格というものはない。

したがって教理、経典などもない。

しかし、自然神である山の神、水の神を大きな神社が祭神としている例がある。

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